KOGF裏STORY

「以上で本日の試合は終了ですッ! なお、明日からはエキシビジョンマッチが行われ・・・・・・」
熱戦の余韻に浸っている場内に委員長の声が響き渡る。明日からの中休みの間のイベントに関する説明だ。
まあ、記念すべきKOGF敗者第一号となってしまった俺に声がかかる期待は薄いだろう。
人気のある連中はいくらでもいる訳だし、選出回数に制限があるわけでもないしな。

今日、ヒバとエチゴが勝った。
ケヤキとアオバも大きく成長していたし、誰が相手でも恥ずかしくない戦いが出来るだろう。
2年前、チーム・エチゴとして共闘した連中との差を見せ付けられ、俺は考える。
「そろそろ潮時なのか・・・・・・?」
思わず口から漏れた一言。県間戦争時代には幾度も死にそうな目にあったが、弱音を吐いたことはなかった。
「おい、そこのお前!」
一度、負の方向に陥った思考は連鎖していく。そろそろ後進に道を譲るべきだったのではないか。
「あんた、聞いてるのか!?」
マサジロウの爺さんみたいに老いてなお盛んという人もいる。しかし全体的にファイターは若返りの傾向にある。
俺だってまだまだ年をとったつもりはないが、もっと活きのいい奴が県を代表するべきかもしれん。
「お前だよ、お前! リンドウマル・ヒゴ!!」
そんな俺の思索は闖入者によって中断を余儀なくされた。
「あんたは確か・・・・・・スノッチ、だったか?」
前大会では「七国争覇」などと大それた称号を持ってたな。はたして何人が使ったのだろうか。
「やっと気がついたか・・・・・・。ミックのヤツがお前を捜してるぜ。向こうで待ってる」
「ミックが・・・・・・?」
俺の顔から疑問を読み取ったのか、スノッチが答える。
「頼みたいことがあるんだとさ」

「やあ、よく来てくれたね!」
ミックが特徴的な甲高い声の声を発する。いつもながら耳に残る声だ。
「挨拶はいい。用件を話せ」
邪魔されて少々気が立っていたせいか、苛々した口調で応じる。
「ビジネスの話は率直なのが一番さ! 実はだね・・・・・・」
向こうは気にした風もなく話し始める。
話を要約すると、ネズミーランドのクリスマスパレードで使う花火が足りないから売って欲しい、とのことだった。
「承知した。明後日には届くだろうよ」
こういう話なら断る理由はない。
「助かるよ! お礼に代金とは別に夢の国への招待券もつけてあげるね!」
遊びに出かけるような気分ではなかったが、欲しがる人に譲ればいいと思い、受け取っておく。
さて、明日からはどうするか・・・・・・。

エキシビジョンに入って4日目の朝。
俺は休暇を楽しむでもなく、かといって地元に帰るでもなく、ホテルの自室でただ無為に過ごしていた。
昨日はケヤキの試合があった。いいところこそ爺さんに持っていかれたが、やはり2年前とは見違える動きだった。
この2年間、花火を作る傍ら、操縦技術の研鑽も欠かさなかった。欠かさなかったつもりだった。
その実、両者が半端になっていたのではないか。どちらか一方に絞るべきではないのか。
「リンドウマルさーん! いますかー?」
・・・・・・そんな俺の葛藤はまたも闖入者によって吹き飛ばされることになった。
ドアをノックする声は・・・・・・ケヤキか。
なんとなく顔を合わせることがはばかられ、居留守を使うことにした―――しかし。
「アオバ、エチゴ、どうだべ?」
「中に人のいる気配があるな」
「同感だ。居留守だろう」
チーム・エチゴの他の連中もいたか。居留守を看破された以上、抵抗は無駄だと悟りドアを開ける。
「まったく、騒々しいやつらだな。たまには静かに過ごさせてくれ」
とりあえず文句を言ってみる。しかしその返答は予想外のものだった。
「3日も部屋に閉じこもっていたなら十分だろ」
アオバが呆れたように言う。気づいていたのか。
「そりゃあ、俺らは戦友だぜ? 気づかないほうがどうかしてるさ」
驚きの表情を見せる俺に対し、エチゴが代表して答える。直後、ケヤキが声を上げる。
「あーっ!? それネズミーランドのプレミアムチケットじゃないですか!? なんでこれを!!?」
鏡台に無造作に置いていた招待券とやらはどうやら貴重なものだったらしい。
「ちょうど5人分あるべや。ケヤキも行きたそうだし、これを使わせてもらうのがいいんでねが?」
ヒバがそれを手に取り調べる。流れが見えないぞ。どういうことだ?
「ケヤキの戦勝記念と称して、久々にチーム・エチゴで集まらないか、ということになったんだ」
混乱している俺にアオバが説明する。
「そういうことなら悪いが俺は・・・・・・」
「おっと! このチケットはお前名義になっている。お前が来ないとダメなんだ」
エチゴが退路を塞ぐ。ついでにアオバが物理的な退路を塞ぐ。逃げられない。
ヒバは生暖かい目でこちらを見ている。ケヤキは期待に溢れた目でこちらを見ている。そんな純粋な目で俺を見るな。
「わかった、わかった。行けばいいんだろ? 行けば」
結局、俺は20秒も持たずに降伏した。ハイタッチしているこいつらを見ると騙された気もするが。
 

その、なんだ。夢の国と自称するだけあり、ネズミーランドは思った以上に楽しかった。
いろいろハプニングもあり、驚きの事実もあり―――まさかあいつが絶叫マシンが苦手だとは。
考案者も十二分に満足するだろう絶叫をあげたことは彼の名誉のために秘密にしておいてやろう。主に妹に。
そしていよいよパレードの時間。ミックとスノッチの姿が見える。
ミックが一瞬こちらを見てウインクしたような気もしたが、見間違いだろう。
スノッチは可哀想なくらい必死だ。なんであいつはここで働いているんだ。
自分の花火と他人の花火が競演する様はなかなか壮観で、打ち上げの組み合わせも勉強になるところがあった。
「あの花火、お前が作ったやつか?」
エチゴが話しかけてくる。よくわかったなと思いつつ頷く。
「だいぶいい顔になったな」
お前はまだ顔が青いぞ、などとは言わずに反問する。相手が誰とは言わないが。
「・・・・・・どういうことだよ」
この質問にはヒバが答えた。
「おんめ、こないだの試合の後、悩んでるようだったべ」
「それで僕らで何か出来ることないかって考えて、遊びにでも連れ出そうってことになったんです」
ケヤキが目線はパレードから離さないまま、しかし真摯な口調で後を引き継ぐ。
「たまには何も考えずに息抜きすることも必要だ。何事もな」
エチゴが締める。
確かに俺は根を詰めすぎていたかもしれない。
ガンダムファイトも花火作りも好きでやっているんだ。
中途半端になることを考えるより、両方極めることを考える。それでいいんだ。
なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだろうか。
「そうだな。みんなありがとう」

最後の花火が打ち上がり、消えるとほぼ同時に携帯電話が鳴動した。
相手は・・・・・・ガンダムファイト委員会? 訝しげに思いつつ通話ボタンを押す。
「ヒゴだ」
「エキシビジョンマッチ4日目、第一試合はネオ山口代表・ダンノウラガンダム対ネオ熊本代表・ヒノクニガンダムに

決定しました。つきましては、リンドウマル・ヒゴ選手は急ぎ会場にお越しください」
電話を切った。胸の鼓動が激しい。初めて戦場に出たとき並ではないか。これこそ俺が求めて止まなかった感触だ。
振り向くと仲間達が笑ってこちらを見ている。
「行ってこい!『焔の申し子』!!」
ドウマンには悪いが、今の俺は誰にも負ける気がしない。たとえ相手がカムイやカキョウであっても。
「ああ、行ってくる!!」

<了>


 「今日の試合、残念だったね」
会場から選手用ホテルへの帰路、傍らを歩くサキに話しかける。
「うーん。勝てると思ったんだけどなぁ。煙幕に惑わされるなんて、私もまだまだね」
彼女が自身の試合を振り返る。こうした反省を欠かさないところが彼女の強さの一因なんだろうな。
「そんなことより! チーム唯一の勝利がジョウなんて!……そっちの方が悔しいわ」
彼女のチームは唯一女性ファイターが二人。たった一人の男の立場が弱いのも、まあ道理でしょう。
彼も満更ではない……というか、あからさまに喜んでた節があるし。
そんなジョウさんがチームでただ一人白星をあげた。
もちろん、彼だってネオ大阪府代表に選ばれる実力の持ち主には違いない。
違いないんだけれど、普段の彼らの喧騒を見ているとサキの言うことがわからないでもない。
レンさんはそんなこと気にせず「アンタもやるじゃないか!」って褒めてたけれど。
根が真面目なサキはどうも割り切れないようだ。
「まあまあ。もう終わったことなんだから。それより明日からの休み、どうする?」
ここはなだめつつ、話題を変えることにする。彼女の怒りの堰が切れるととても私では止められない。
「んー。誰かと映画でも見に行こうと思ってたんだけど……そんな気分じゃないわね。ミナミは?」
どうやら話題の転換には成功したようだ。しかし私も特に予定がない。
「えーと。特にすることもないし、めんこいガンダムの整備でもやろうかなって……」
答えに窮して普段やっていることを言ってみる。サキがやれやれといった表情でため息をつく。
「はあ……色気の欠片もない休日ね。そうだ、チケットあげるからこの映画でも見に行ってきなさい!」
色気がなくて悪かったわね。どうせ私はかたすぎて恋人の出来ない女ですよーだ。
そんな私の心情を知ってか知らずか、名案が閃いたといわんばかりにチケットを私の手元に押しやるサキ。
「ええ!? 別に要らないわよ。一緒に行く相手もいないし……」
チケットを押し返す。しかし彼女もさるもの。二の矢を放つ。
「三馬鹿なんか誘ってあげれば血の涙を流して喜ぶかもよ」
冗談きついわね。軽くかわす。
「あの三人は論外よ」
別に悪い人たちではないけど、あんなにがっついてるのはちょっとね。
「そうよね。むしろ肯定されたら困るところだったわ」
じゃあ言わないでよ、と思いながら反撃する言葉を探していると。
「マタサブローくんとかいるじゃない。2年前はキト先生ともいい雰囲気だったし」
しまった。二本目はおとりでこっちが本命だったのね。
「あのね、マタサブローは弟みたいなもの。それ以上でも以下でもないの。キト先生だって……」
否定する言葉が見つからず言いよどむ。しかしそれは致命的なミス。
「フフフ……『キト先生だって……』何なのかしら? そういえばあのときは献身的だったわよねぇ」
ニヤニヤする彼女を憎らしく思いつつ挽回の手立てを探る。
「サ、サキだってキト先生の看病してたじゃない!」
苦し紛れの一手。矛先をずらそうと試みる。
「私はミナミの付き添い。それに今はミナミの話で私の話じゃないわ」
あっさりと捌かれた。黙っていると負けだ。何か言わなければ。
「わ、わたすは別にそんなつもりだったわけじゃないべ!」
思わず方言がでてしまう。みずから感情が昂ぶっていることを示してしまった。
「ミナミ、方言出てるわよ。それに顔赤くしてそんなこと言われても、ねぇ?」
急激に頭が冷めていく。うぅ。返す言葉がない。
「そういうことで、明日はキト先生と行ってらっしゃいな」
敗者の私にゆるされるのは「はい」か「イエス」のみだった。

昨日はサキに押し切られて消極的とはいえ決意したものの、一晩たつと覚悟は鈍ってしまう。
「ねえサキ、やっぱり無理よぉ」
フロントに向かうエレベーターの中、無駄とわかりつつ抵抗してみる。
「だめよ。一度言ったことには責任を持たないとね」
にっこりとした顔でにべもなく。私とは対称的にいきいきとしたサキは私の哀願にとりつく島もない。
あなた、楽しんでるでしょ、と心の中でつぶやき、そしてため息をつく。
「だいじょぶ、だいじょぶ。ミナミが先生を誘うところまで見届けたら、私は消えるから」
嘘だ。絶対に嘘だ。口に出すといろいろ面倒なことになるから言わないけど、間違いなく嘘だ。
きっと忍者兄妹あたりと協力して尾行するつもりだ。エチゴさんも巻き込んでるかも。
ガンダムファイターとして磨いてきた第六感がそう告げる。
映画なんかよりよっぽど楽しい娯楽を見つけたと雄弁に語る彼女の顔がそれを裏付ける。
「とりあえず先生の部屋を調べないとね。ほら、聞いてきなさい」
エレベーターを降りるとフロントは目の前。
「あの……すみません。キト・シラカワさんのお部屋は何号室ですか?」
サキは少し離れたところでこちらを見ている。逃げることもできず、観念してフロントの人に尋ねる。
「シラカワさんですか? 少々お待ちください……」
待っている時間がとても長く感じられる。けれどフロントさんからは意外な答えが返ってくる。
「……シラカワさんは昨夜のうちにチェックアウトしてますね」
ほっとしたような、残念なような。そこに息をつく暇もなく血相を変えたサキがかけこんでくる。
「それ、どういうことですか!? 大会中、それも深夜に変えるなんてただごとじゃありませんよ!?」
「そうは言われましても、こちらは関知しておりませんでして……」
サキとフロントの人が問答を始める。そこに突然男性の声が響き渡る。
「その質問には私がお答えしましょう!」
この声は……委員長? でもどこにいるのかしら? ロビーにいる人たちもざわめいている。
私が委員長だ、とか、いや我こそが委員長だ、とか聞こえるけどもどの人も委員長とは違う。
「私が委員長です」
声のした方向を振り向くと、紛れもない委員長本人が立っていた。……巨大水槽の中に。
「な、なんでそんなところにいるんですか?」
固まった空気の中、サキがいち早く再起動して委員長に問う。
「細かいことを気にすると大きくなれませんよ、サキさん」
飄々と答える委員長。けっして細かくはないと思うけれど。
これ以上ややこしくなっても困るので深くは追求しないことにする。
「そ、それで、キト先生はどうして帰っているんですか?」
とりあえず、話題を本筋に戻す。サキが「やっぱり気になるんじゃない」と笑っているが無視する。
「うむ。知っての通り彼は医者だ。大会中は知り合いの医者に病院を任せて参加してもらう手筈になっていたのだが」
委員長はそこで、一度言葉を切る。いつのまにか周囲に人が増えている。
「やはり患者が気になるとのことで、帰らせてほしいとの申し出があり、こちらもそれを承諾したというわけだ」
キト先生、立派なのね。聞き手の中には本気か冗談か「俺、仕事探してくるわ」という人までいる。
「ということはメディカルガンダムはエキシビジョンには参加しないということですか?」
宿泊客の一人が委員長に問いかける。ファンとしては気になるんでしょうね。
「いや、21時までには再びこちらに来ると言っていた。無理はしないようにとは言っておいたが」
そういって委員長は去っていった。三々五々、人も散っていく。
委員長の残した言葉を考える。キト先生の性格から考えて、毎日往復するに間違いないわ。大変ね。

一度部屋に戻り、私はチケットをどうしようか聞こうと、サキのほうを見て―――そして驚愕することになる。
彼女はこの程度ではへこたれなかった。
「ミナミ! これはチャンスよ! キト先生のところへ行くの!!」
……はい?
「……ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言って?」
きっと聞き間違いだと思い、それが願望ではないと信じて聞き返す。
「だーかーらー! 先生の病院に押しかけるの!」
残念ながら私の耳は正常だった。彼女はこれしかない! という名案を見つけたような顔でのたまう。
「なんでそうなるのよ!? 話が飛躍しすぎじゃない!」
さすがに私も黙っていられずに言い返す。
「だっておもしろく……じゃなくて! そう、二人っきりなのよ!?」
「いま『おもしろくない』って言おうとしたでしょ!?」
「そんなことはどうでもいいの! 他のみんなもネオ富山まで行くのに協力はしてくれないだろうし」
「やっぱり、後をつける気だったのね!?」
「あーもー! 何でもいいから行きなさーいっ!」

こうなると売り言葉に買い言葉。騒ぎを聞きつけてやってきたミロクさんの静止も聞こえず口論にいそしんだ。
そして結局、私はまたも押し切られた。私って流されやすいのかしら……。

そして私は今、ネオ富山に立っている。
サキからは「富山まで行った証拠にお土産に鱒寿司を買ってきなさい!」という理不尽な指令まで下っている。
それに便乗してきた人の分も合わせて8つも買わなければならない。
ミロクさんはともかく、他の人はどこから聞きつけたのか。
委員長に聞いた住所を頼りにシラカワ医院に向かう。
「そういえば……この雪、なにか岩手の雪と違うような……」
道中、道に積もった雪を見て思う。岩手も雪国には間違いないが、だからこそ気づく慣れ親しんだものとの違和感。
そういえば北陸、特に富山の雪は湿って重いと聞いたことがあるような。
そんなとりとめのないことを考えているうちにシラカワ医院に到着した。

「ここがシラカワ医院……」
思ったよりも大きな建物。キト先生がいれば何とかなるなんて聞いたけれど本当なのかしら。
自動ドアをくぐり、受付に向かう。昼時ということあり、あまり混んではいないようだ。
「どうないましたか?」
受付の人が笑顔で聞いてくる。
「いえ、シラカワ先生に用があるんですけど……」
そういえばいきなり押しかけてだいじょうぶだったかしら。
「申し訳ありませんが、アポイントメントがない方には……」
やっぱりそうなるわよね。まあこれでサキに対する言い訳も立つし、しょうがないかな。
折角来たのに、と少し後ろ髪を引かれる思いながら、引き返そうとした矢先。
「あれ? あなた……もしかして、ミナミ・イシカベさんですか?」
「え? はい、そうですけど……」
もう一人の受付の人が気づく。だからと言ってどうにかなるものじゃないだろうけど。
すると、受付の二人がなにやらひそひそと話し合っている。
そのあと、どこかに内線を繋ぐ。私はことの成り行きを見守るしかない。
「本人の確認は取れませんでしたが、シラカワ先生はちょうど休憩中だそうです」
「休憩室におられるようですので、私が案内します」
……どうにかなっちゃったみたいね。

「あの、こんな簡単に会えちゃってもいいんですか?」
休憩室への道すがら、思わず質問せずにはいられない。
「シラカワ先生、時々2年前の大会のことを話して下さるんです。どのファイターも素晴らしい人だったって」
ほんの一瞬、チクリと胸を刺す痛みを感じた気がした。それはきっと気のせい。黙々と歩く。
「それにしても、こんな可愛い女の子が尋ねてくるなんて、シラカワ先生もスミにおけないですね。さあこちらです」
受付さんはそういって踵を返す。その顔には、ほほえみがたたえられている。
「え!? いや、私はそうゆうのじゃ……」
私の言葉に、彼女は一度振り返って、目配せをして去っていった。うぅ……絶対誤解されてる。
私はずっと立ちつくしているわけにもいかず、呼吸を整えて休憩室の扉を開く。

そこにいたのはキト先生だけだった。他の人がいたらどうしよう、という不安は杞憂に終わったようだ。
キト先生は机に伏して眠っていた。おだやかな寝顔。規則的な呼吸。傍らにはほとんど口をつけていないコーヒー。
私は廊下にいたときと同じようにしばらく立っていたが、そこでふと思う。
「このままじゃ風邪引いちゃうかもしれないわね」
彼ほど医者の不養生という言葉と縁遠そうな人もいないだろうが、それでも万が一、ということがあるかもしれない。
ベッドまで運ぶか、それとも毛布をかけるか、すこし逡巡した後、手近にあるベッドに運ぶことにする。
そう決めて、キト先生に触れた刹那―――気づくと私は天井を見ていた。
「!?」

キト先生にベッドに押し倒されたと気づくのにそう時間はかからなかった。
しかし、押し倒されたといっても誰かが期待したような雰囲気ではない。
おそらく初めて見るキト先生の冷たい目。電灯が逆光になっているけれど、その目は光って見えた。
キト先生は白衣の懐に手を入れたところで、いつものように戻り、そして手を顔にあてる。
「またやってしまったか……って、え? ミナミさん? 一体何がどうなって……ええと、まずはすみません!」
そういって彼は体をどける。私は慌てたキト先生を新鮮に感じつつ立ち上がる。
「驚きましたよ。寝てると思ったらいきなり押し倒されるんですから」
少し冗談交じり言ってみる。キト先生も落ち着いたようだった。
「本当に申し訳ありません。まだ昔の癖が抜けないもので……どこか痛むところはありませんか?」
そう言って彼は平謝りする。うーん、なんだかこっちが悪いことしたような気になってきたわ。
「いえ、大丈夫です。それよりクセってどういうことなんですか?」
好奇心か、あるいは話題作りか、引っかかったことを聞いてみる。
「……県間戦争時代、私は暗殺者に狙われることがよくありました」
キト先生は一瞬ためらいを見せたけれど、口を開いた。
「彼らは寝込みを襲ってきます。その瞬間が最も無防備ですからね」
それだけで大体の事情は飲み込めた。彼は寝るときでさえ気を緩めることができなかったのだ。
「起きてすぐに動けるようになるにはなかなか苦労しましたよ」
彼はそれだけ語ると冷めたコーヒーを口にした。
「……大変だったんですね」
県間戦争とひとくくりに言ってもその時期には地域差がある。
私は東北地方の最末期に代えの利くオペレーターとして参加しただけだ。
そんな私には想像もつかない、地獄のような時期もあったのかもしれない。
「ええ、エチゴさんが来たときはとても苦労しました。白昼堂々やってきたので厳密には暗殺ではありませんが」
キト先生はこともなげにそう告げる。
「エチゴさんとも戦ったんですか!?」
プロの傭兵と渡り合う白衣の医者って……かなりシュールな光景に思えるわね。
「まあ人が来る時間を稼ぐだけで手一杯でしたし。あとはテンザンさんが来たときも驚きましたね」
テンザン、テンザン……どこかで聞いたような……あっ、もしかして。
「テンザンってもしかしなくても、サキのお父さんのテンザン・サイトウさんですか?」
でも確かサキのお父さんってガンダム乗りだったはずよね。
「そうです。岐阜一の実力者と謳われたテンザン直々の暗殺でした。気に入ったと言われて見逃してもらいましたが」
前大会でかなりの人から寄付が集まったって聞いたけど、それなりに人脈もあるのね。
キト先生はカップに入ったコーヒーを飲み干す。話に一段落ついたみたい。
「……あの、今度またその頃の話をうかがってもいいですか?」
自然と口が言葉を紡ぐ。多分純粋な興味から出た言葉、だと思う。
「ええ、いいですよ。といっても大した話は出来ませんがね」
笑って承知してくれる。この飾らない人柄がこの人の魅力のひとつ。
「ありがとうございます」
こちらも笑顔でお礼を述べる。……この約束がサキに燃料を与えることになるのはまた後の話。

「そういえば、ミナミさんはどうしてこちらへ?」
どうしてって……あれ、そういえば。サキに押し切られたなんて失礼なこと言えない。
脳内のサキに相談してみる「あなたに会いにきま―――却下。
「もしかして、どこか体の具合が悪かったり……」
キト先生は心配してくれる。でも今はその気遣いが苦しい。
どうしよう。あーでもない。こーでもない。そして私は迷った挙句のはてに。
「鱒寿司買いに来ましたっ!」
……やっちゃった。キト先生はきょとんとした顔でこっちを見た後に笑いだす。
あぁ、恥ずかしい。顔から火が出そう。今ならヒノクニガンダムにも負けないわ。
「そういえばミナミさんにはお茶も出していませんでしたね。気が利かなくて申し訳ありません」
キト先生は笑いが収まると―――まだ肩は少し震えているが―――こう言った。
「あ、自分で入れますからお気になさらず」
私も立ち上がり、キト先生を制す。疲れている人にそんなことをさせるわけにはいかない。
「いやいや、お客さんにそんなことさせるわけにはいきません。……とっ」
キト先生の体が傾く。いきおい、私は再び押し倒される形になる。
今度は誰かが期待したような空気なのかもしれない。でも気まずい沈黙。
何かしゃべろうと、口を開けたそのとき。
『急患です! シラカワ先生、急ぎ……』
院内放送が沈黙を破る。
「……ええと、ああ、休憩時間がちょうど終わったみたいですね」
じゃあ、私と話してたせいで休めなかったのかしら。そうだったら申し訳ない。
「キト先生、大丈夫ですか?」
今、倒れかけた人が手術をすることなんてできるのだろうか。
「大丈夫です。私はこんなときのために医者をやっているんです」
しかしそれは不要な心配。彼は活力に満ち溢れているようだった。
使命感というのかしら。精神が肉体を凌駕するってこんな感じなのかな。
「手術が終わるまでここで待っててください。そのあと、鱒寿司を買いに行きましょう」
彼は笑いながらそういった。そういえば、そういうことになってるんだった。
「は、はぃ。」
焦ったせいか、声が裏返る。
「それじゃ、いってきます」
そういって彼は休憩室のドアを開く。何か、何か言わなければ。
「……いってらっしゃい」
私の口を衝いたのはこんな言葉だった。キト先生は何も言わずに手を振って出て行った。

「はあ……疲れた」
その後、手術を終えたキト先生と私はキト先生の知り合いの店で鱒寿司を買い、会場に向かうことになった。
移動中、眠っているキト先生がこちらに寄りかかってくる。私にはどうすることもできない。
20時半には最寄駅についた。でもキト先生はまだ眠っている。
触っていいものか迷ったけれど、起きるならそれでいいかと思い、揺り起こそうとする。
「……あれ?」
キト先生は起きない。よっぽど疲れてるみたい。それとも少しは信用してもらえたってことなのかな。
「ん……、もう着きましたか」
しばらくして、キト先生が目を覚ます。
「早く降りないと。列車出ちゃいますよ」
私はキト先生の手を引いて列車を降りる。

「おかえり、ミナミ。ずいぶん仲良くなったじゃなぁい?」
……そこにサキたちが待っているなんて思ってもみなかった。
シュウヤさんは……多分サキに狩り出されたんだろう。形容できない顔をしてる。
ミロクさんはいつもの表情だけど、やっぱり食えないひとだ。
キト先生は頭上にクエスチョンマークを浮かべている。
さて、今夜はサキの追及をどうやってかわそうかしら。
私はため息をついて再び歩き出した。

<了>



<おまけ>

結局、私は洗いざらい話すはめになった。
サキだけじゃなくナダレさんもいるんじゃ、私には荷が重い。
ミロクさんもそれとなくサキに協力してたみたいだし。
「これで全部よ。もう逆さにして振っても何も出ないわ……」
けれど、三人とも呆れた顔をしている。ミロクさんでもこんな顔をするんだ。
「ミナミ……あなた最後になんて言った?」
サキが問いかける。ええと、確か。
「キト先生が『いってきます』って言ったから『いってらっしゃい』って……」
何かあったかしら。自然な流れだったと思うけど。
「ミナミ。あなた無意識にそう返したの? 末恐ろしいわ……」
ミロクさんが続ける。何かあったかしら。
「ほんまやわぁ。まるで夫婦やありまへんか」
私は言われて初めて気づく。
「夫婦? えっ!? あっ!?」
そして、その意味するところを理解したところで、私の意識は途切れている。

<今度こそ了>

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